大雪山の麓に広がる然別川の扇状地に位置する鹿追町は、良質な伏流水が豊富にある湧き水の里です。この扇状地に育まれた大地からは上質なソバが収穫され、良質な軟水とそば粉を用いて早朝5時から打つ「十勝鹿追そば」の“二八そば”は香味にあふれ、そば通をうならせます。そして、旬の野菜と魚介類を薄い衣で揚げる「心喜一天」の天ぷらは、町の人にも大人気。精進を重ねた料理人の技と地元食材が味わえる滋味豊かな鹿追町の和食を紹介します。
鹿追町の中心部北側に店を構える「十勝鹿追そば」の仕事始まりは、朝の5時。そば職人の高橋圭さんのそば打ちから始まります。20食分のそば打ちに費やす時間は、その日の気温や湿度にも関係するので一定ではなく、約40分から1時間。1日に100食分用意するため、そば打ちだけで3時間半から5時間近くかかるそうです。「私が使っているソバの品種は『牡丹』という種類で、鹿追町の『にしかみ農園』で栽培していす。牡丹は、昭和5(1930)年に北海道農業試験場で推奨された紋別地域発祥の品種で、古くから北海道で育てられてきました」と高橋さんは話します。現在、北海道のソバの品種の主流は早生で多収に優れた「キタワセソバ」で、道内での作付面積のおよそ9割で栽培されています。牡丹は残念なことに地球温暖化など環境変化の影響で生産できる場所が少なくなってきましたが、ほかの品種と比べても味や香りが優れているという特徴があり、現在では希少価値が高く 「幻のソバ」として根強い人気があります。にしかみ農園の畑は、平均標高が海抜300mを越える高原にあり、牡丹を栽培するうえで交雑が起こりにくい点でも栽培に適しています。しかも冷涼な地域で育つため、牡丹の特徴である力強い甘み、豊かな香りがさらに引き立ち、風味豊かに育ちます。
この鹿追町の大地が育んだ貴重なソバ、牡丹の実は受注後に農園の石臼でゆっくり製粉され、そのそば粉を繊細な職人の感覚で定休日以外、毎日打ち続けているのです。「この町は水も豊かで、軟水で甘みのある湧き水をふんだんに使えるのがうれしいですね。そば屋にとって、水はそばを練るときにも必要ですが、ゆでる水としても大切です。当店では、かなり大きな鍋でゆでるので、そばの量や季節にもよりますが、約2分から2分30秒でゆで上がります。また、昆布、シイタケ、煮干し、かつお節などを使った基本のだしに、2種類のそばつゆと天つゆを用意しています」
常に試行錯誤を重ね、子どもから大人まで味わえる「究極の母の味」を目指す高橋さんの打つそばは、そば粉8割に小麦粉2割の〝二八そば〟です。実際に味わってみると、そば粉になじむように栽培された、にしかみ農園の小麦粉を使用することで麺にしなやかさが加わり食感もなめらかになるため、そばがツルリと喉を滑り落ちます。さらに牡丹の香り、風味は予想以上に豊かで、香りや味の強い〝十割そば〟にも負けていません。まさに、子どもから通までうならせる味わいは、高橋さんが目指したひとつの答えでもあります。そして、人気の「ゴボウ天そば」は、器からはみ出す天ぷらの大きさに圧倒されることでしょう。卵黄を使った衣のサクッとした触感とゴボウの風味が、そばのふくよかな甘みを引き立てます。鹿追町の湧き水とこだわりのそば粉を生かした製麺技術と工夫されたメニューの数々で、町内だけでなく近隣の市町村から多くの方が足を運んでいます。
帯広市内の天ぷら店や寿司屋など老舗和食店で、天ぷら職人として活躍していた大塚佳雄さんが、鹿追町に「心喜一天」を開業したのは20年ほど前。そして、2019年に現在の場所にリニューアルオープンしました。 「ここは小さな町なので、天ぷらだけでなく幅広いメニューが求められます。そのおかげで和食のさらなる広がりや面白さを学ぶきっかけになりました」と大塚さんは話します。
「心喜一天」の店名どおり料理に対する大塚さんの真摯な姿勢は、たとえば人気の「かき揚げ丼」にも表れています。具材には、ホッキ貝、エビなど海の幸5種類と、シメジ、シイタケ、ナスなど野菜5種類の合計10種類をぜいたくに使用し、外側はサクサク、中身は具材がぎっしり。さらに飼料にもこだわりをもって育てた上質な十勝産豚肉を使った「豚丼」や「カツ丼」にも他店とは違う工夫があります。「かき揚げは、季節によって具材を変えています。春ならウドやタラ、フキノトウなどの山菜、アスパラの天ぷらもおいしいですよ。地元野菜をベースに満足していただける食事を提供し、家族だんらんの店を目指しています」